{参考文献}理容・美容学習事典(1968年度版)
「束髪」(そくはつ)
昔、戦国期(15〜16世紀)に束髪といって、後頭下部に
丸く髪を束ね、多く前髪を両側に切り垂らした髪型が
下層の女性に結われた。しかし、結髪史上意義のある
ものは、明治18年に西洋文明の波にのってドクトル
渡部鼎(わたなべかなえ)の夫人が結い始めたとされる
洋風の結髪である。この束髪はそれまでの日本髪と著しく
異って無技巧なもので後の洋髪の基礎となった。この当時の束髪は
「周囲をひきつめ、たぼを少し出し、3つ組に編んだ髪を頭の中央で
丸く束ねて留針止め、その上に絹糸で作ったネットをかけたもの」で
ある。ネットに小さな珊瑚の玉の飾りをつけたり、前髪を切って垂らす
者もいた。明治18年7月に渡部鼎・石川暎作などが「婦人束髪会」を
起こし、従来の日本髪の欠点をあげ、大いに洋風束髪の宣伝に努め
たので、軽便かつ衛生的な点から女学生や上流婦人を中心に広く
束髪が結われるようになった。西洋上げ巻き・西洋下げ巻き・イギリス結び・
まーがれいと・などが普及し、その後、夜会巻き・下田式前髪・花月巻き・
が流行し、明治35年頃から前髪と鬢(びん)を1つにして張り出した
庇髪が結われた。日露戦争時の二百三高地(庇髪の一種、明治38
年頃)は特異な型で有名である。明治から大正にかけて束髪の語は
洋髪と同義に使用されたが、大正7〜8年マーセル・ウェーブの導入
の頃より、次第に洋髪という言葉が用いられるようになった。
束髪は厳密には洋髪の一種であるが、大正期に入ってふくらませる
ことをやめた七三髷以来の、オールバック・髷なし・耳隠し・断髪などの
洋髪に対して、とくに庇髪が結われた以前の洋風の結髪を指すといえる。