キャンプ場に住むようになったいきさつ
妻談(1988年)
一の瀬高原キャンプ場に通いはじめて
8年目の夏のある夜、
離れ小島(テントサイトの名前)で設営し、
焚き火のまきを買いに行った夫の帰りがあまりに遅いので、
管理棟の方へ上って行くと、
途中のきゅうり畑で、管理人のおじさんと夫が座り込み、
なにか話し込んでいました。
「今晩は!」と声をかけちかづいた私を、待たずに主人が、
「ここのキャンプ場は、おじさん家のだって!
いいな〜こんな暮らしができたらなー、いいよね。」
「こういう暮らしが夫の夢なんですよ。」と私。
「奥さんもそれでいいのかい?」とおじさん。
「子供がまだ小さいから、子供のことだけですよね。私は・・・」
管理人のご夫婦は働き者で、
この時も団体客の明日の登山時のお弁当用に、
きゅうりの漬物の準備のため、急きょ畑で
きゅうりなど収穫しているところだったのです。

キャンプ場自体も28年ほど前に、手づくりで造られたもので
そこかしこの石積みも、ひとつひとつ愛情込めて
造られたのだろうと思いました。
草花にも詳しいおじさんの庭は、見たこともない山の草花が多種。
それぞれ整然と咲いていました。
おばさんも、おじさん以上の働き者(おじさん曰く)で、
よく気のつくやさしい方で、
ここのご夫妻には、感心させられることばかりでした。
お会いすると必ず、何かしら為になることが多く、
こちらの気持ちがしゃきっとして、無駄の少ない、
地に足のついた暮らしというのは、
このご夫妻のことだなーとつねづね思っていました。
「おじさん本気かな?」・・・キャンプからもどっても、
夫の山暮らしへの思いは変わらず、
伊豆や、山梨の土地を見にでかけていました。
現実ばなれしている話と、一方では思っていても、
今までの恐ろしい行動力から、
今回も、甘く見る訳にはいかないのでは?と感じていました。
でもまだ先のことでしょう!
・・・そのときは、意外と早くにおとずれました。
・・・翌年の一の瀬で「おじさんホント!本当に」
「私たちは、いつでもいいよ、岡庭さんみたいな人に、
後をついでキャンプ場やってもらえるんなら。
いずれは、体力が続かなくなる、できなくなるときを
待たなくても待ってもいいんだ。岡庭さんの都合でいいよ。
10年先でもいいよ。」
おじさんは、1点を見つめゆっくりと話されました。

「譲ってください!なるべく早く。
こちらもそのつもりで準備しますから、家族とよく相談して連絡します。
おじさんの方もよろしく!」
・・・・・はじめて一の瀬高原キャンプ場を訪れてから、
ちょうど10年目、一の瀬高原キャンプ場開設30年目にあたる年に、
私たち家族は、東京の工場を閉じて、一の瀬の住民になりました。
夫の私を説得した言葉の1つに
「チャンスは前髪しかないんだって!迷っているともう2度とつかめないんだって!
僕にとって今がその時なんだ、頼むよ!賛成して」

娘の学校のことなど・・・仲良しができ始めた娘は、
「5年生のクラス変えを見てからにして」
と言ってうつむきました。
クラス変えを見て、夫より1ヶ月遅れて山へ。
娘は、新しいクラスとお友達への思いを残したまま転校しました。

子供に対しては、十分な説明もしてやれなかったことが、
私にとって後悔として残りました。
全校生徒5人の小中学校に3年通い、
娘は自分の意思で中学2年で東京へ一人戻り、地元の
中学へおばの家から8ヶ月ほど通いました。
私は、子供とはなれての日々に居たたまれず、
私も東京へ。
娘との2人暮らしが始まりました。
その後の4年半は夫と娘の間を行ったり来りの
日々を送りました。
ほとんど一人暮しになった夫は、小型圧力釜をはじめ、
いろいろな物を作り、全く台所に入ったこともない人が、
ストーブでパンを焼いたりケーキを焼いたりして、
私が帰る度に、台所もすっかり夫の、実験室に変わっていきました。

4年半後にこちらに戻ってみたら、ガスも止めて、
まきのみの暮らしになっていました。
今では、キャンプをしているような毎日です。
留守中に家に煙突が立っていたときには、驚きましたが、
そのマキストーブも、我家には、
なくてはならないモノになっています。
東京で暮らしている娘も、たまにこちらにきます。
先日来たときも「ちょっと散歩」と言って出かけ、
20分ぐらいで手にうどを沢山持って帰ってきました。
やはり、小学校のときに学校から山に連れていっていただき、
山菜の料理などした経験が生かされているんだと思います。
夫はこちらに来たばかりのころ、
娘とよく釣りに出掛けていたので、
今でも娘がこちらに来ると、2人で出掛けていきます。
ここでの3年間が、娘にとってどうだったかは、判りませんが。
1人東京に戻ったときが一番辛かったと、後になって話していました。
はじめて親元を離れ、期待に胸弾ませて戻った東京の中学は、
受験体制下で、仲良しは、皆、私立中学に入っていて、
自分1人取り残されたと感じたようです。

子供に対しては、荷の重い選択を何度もさせてしまいました。
娘には、辛かったことをバネにして、
自分の夢に向かって力強くがんばってほしいです。
山は、都会で疲れたら帰ってきて、多少でも充電できる場所
になればいいかな!と思っています。


キャンプ場に越してきてはじめての四季
妻談(1989年)
4月26日、夫より1ヶ月遅れて、娘と山の家にきた。
4月28日,前から予約されてあったお客さんで、
6名の泊り客。
はじめての事にとまどいながら、私たちとしてはベストを!
喜んで頂けてほっとした。
あわただしさの中,子供は,国道沿いの学校に。
主人の車での,送り迎へ(遠い)で、通い始めた。
はやく、皆となじんでね。
泣き言一つ言わず,毎朝元気に出掛けていった。
「どうにもならない事,言ってもしょうがないでしょ!」
・・・娘の一言。
引っ越して間もない5月の終わり頃、
畑の片隅に、いちごをみつけた。
「まあ、いちご。家の?よね。」
・・・収穫すると小さなボールが、一杯になった。
おばさん、いただきまーす。(すでに塩山に越された前の持ち主)
「ううーん、畑をやると、こういう喜びがあるんだろうな〜」と思った。
あらためて見渡すと、かなり広い畑、何をまこう!
わくわくした。
6月に入ると、草が急に伸びて、マキ割りの合間に
夫は、草刈に追われた。
遠く聞こえるくさかり機の音が止むと、私は、夫の怪我が心配で、
外に出たり、家に入ったりして気をもんだ。
私の畑も、大根、とうもろこし、ラデッシュと少しづつ、畑らしくなっていった。
庭の花も一斉に咲き始めた。
おじさんの事を思った。
どうされてるかなー?
『おじさんの手がけた花々は、今年もきれいにさいていますよ。』

7月になり、カミナリがひどく鳴り、ひょうまで降った日,
玄関を開け放し、バラバラと音を立てて落ちてくる大きな氷の塊に、
驚き夫と二人玄関先に座り込み、
「ワイルドですね!」と顔を見合わせた。
ひょうが、止んでふと山を見ると家のまん前の山に、
二段の虹が色濃くかかっていた!
「二段の虹だ・・・。」思わず立ち上がり、外へ出た。
「ほら、あそこに、二段の虹が!」叫んでいた。
お客さんも気づかれ,みな高いところへと走り,
「虹の生えはじめはどこ?」
など奇妙なことを口走る人もいて,大笑い。
「じゃあ、何ていうの虹の元、,根っこはどこに?あしかな?」
キャンプ場は連日,お客さんでにぎわった。
走りまわってあっという間に夜。の繰り返し。
でも,楽しい!
8月の半ばを過ぎたころから、赤とんぼがたくさん乱舞しはじめた。
えっ!もう、秋になっちゃうの?
夏らしく感じたのは、1ヶ月ぐらいなのかなー。
畑の大根は、みずみずしく、きめこまかで、
とうもろこしも、小ぶりながらおいしくて、
途中から、草に負けた私の畑にしては、
沢山の実りが、ありました。

日に日に、風の香りが秋めいて、
9月の終わり頃になると紅葉がはじまった。
10月上旬になると、キャンプ場の場内は、
紅葉で別世界のように色づいた。
風に運ばれ時折、聞こえる落ち葉の音を聞き、
踏みしめながら散歩した。
赤や黄色の落ち葉が、薄茶色の落ち葉に重なり、
積もり始めた。
山栗が行く先々にこぼれていた。
風が吹くと袋を持って走って行き、小さな栗を拾った。
持ち帰った山栗は、皮をむいて冷凍して、翌年の夏まで、
栗ご飯や、甘煮してウイスキーを絡めたり、ようかんにして食した。
小さくて手は掛かるが、甘味があり栗本来の香りがつよかった。
とてもうれしかった。
11月の10日頃になると、お客さんが減り、連日静かなキャンプ場。
風に混ざって、細かな雪の粒が飛んでいるのをみた。
「かざはな」っていうのかな〜?
12月になったが、予想したより寒く感じなかった。
体がなれて来たのかな。
若いキャンパーの方々の利用があり、
「冬場のキャンプの過ごし方、注意する事の実験を!」と
自分もキャンプをする夫。
寒さが厳しくなってきた。
発砲スチロールを巻いた変な夫。
「また冬場のキャンプ実践ですか?」と私。
「今日は、無線機持っていくから、用事があったら言ってね。」と夫。
・・・「こちら、お父さん用事はありますか、なければきります。ブチッ!」
「あっ!」「もう、きれたよ。」・・・娘と顔を見合わせ笑った。
翌朝、「どうだった。」と聞くと、
「まあ、それなりにたのしかったよ。発砲スチロールは、ばかにできないよ。」
…後に煙突つきテントで、実践中、冬のキャンパーと話が盛り上がる。
風に弱い・・・空気の逆流などの対策を研究中。(後に完成)

12月25日 X'mas.高い空から、音も無く雪が降ってきた。
ああ〜子供の頃、友達と交換したあの銀色の粉が一杯ついた
メルヘンチックなX'mas.カードの景色が、よみがえった。
『さあ!早くしなくてワ!』
『目に付きにくく目立つ場所?そうだ、あそこしかない。』
子供が帰ってきた。
夕飯の前に
・・・外で、「あら!」わざとらしく言って、上を見上げる。
つられて顔を上げた娘。
「うふふ。おかあさんって、昔から高いところすきよね!」
・・・暗くなる前に見つかって(見つけさせて?)よかった。
5年生にもなると、気づいているとは思っても、やめるにやめられない。
年に一度のお楽しみでした。
プレゼントを嬉しそうに、開ける娘に、
「ね〜、いつ頃から知ってたの?」
「小学校に入る前頃かなー、近所のめーちゃんが、
『サンタさんなんていないんだよ、あれは、おとうさんがやってるの。』
って、自信満々で言ってるのを聞いて、
ゆきちゃんと、嘘だよねって、言い返したけど、そんな気もしてた。」
「ああ〜、そういえば、そんなこともあったよね。」と私。
「そのとき、おかあさんに聞いたら、いないと思う人には、いないのよっていったよね。
気づかない振りするのもたいへんよ!」
大笑い。
「クリスチャンでもないのに、日本人ぐらいじゃない・・・」言いかけた夫。
「それも自由でしょうが。」と言い放った.。
父親と母親の間に娘がいた。この子は、どっちを選ぶのかな?
お正月  グウ−グウ−寝ている夫と子供を横目に、
二階の窓を少し開け、白み始めた山の向こうに目を凝らした。
ここに住んではじめての年明け、初日の出。
良く寝ている二人はそのままに、一人見ることにした。
うす桃色が、広がったと思ったら周りが、いつしか明るくなり、
山のむこうにおひさまが顔をだした。
1月も半ばを過ぎたころから、寒さが厳しくなり、
夫は、部屋にテントを張り、中に電気ヒーターと、送風機をセットし、
布団を敷いて、「今日から、ここで寝よう!」とはりきっていました。
朝起きると、テントの外側に、細かい氷の粒が付いていました。
「昨日も冷えたんだね〜」。何故か嬉しそうな夫。
その晩には、テントの上に、布団がかけられました。
さむさしらずーと満足げな夫。
裸足では歩けないほど畳も冷え、台所も、出しっぱなしにしてある水がはねて、
スケートリンクのようになったこともありました。
グラスの水は、捨てる事・・・グラスがわれるので。
2月は、雪の日が多く、寒さも一段と厳しさを増して、
子供は、校庭の隅に作られたスケートリンクで、スケートを。
「みんなじょうずなんだ〜」と娘。
3月になっても、まだ雪が時折降り、この年は、雪が多かったようだ。
1990年4月6日うぐいすが、鳴いた。春がきた!
キャンプ場内には、まだ残雪があった。

一の瀬の人々との出会い

妻談(1989年)
おじさんに連れられて、ご近所に挨拶をしに回りました。
「家との付き合いと、同じにしてくれよ。よろしくたのみます。」
簡単な言葉のようで、意味深い言葉だと、私には、思われました。
「おじさん!ありがとう」心がすこしあつくなり、
新しい土地でしっかり暮らそう!
覚悟のようなものが、やっと出てきました。
山で暮らすことが決まる前から、仕事を終え夜になると
「田舎暮らしのいじわるばなし集」や、経験談など2人で読んでは、
「へえ〜強烈ですね〜」などと驚いたり、想像したりしていました。
実際の山暮らしが始まり、私たちは拍子抜けするぐらいに、
会う人あうひと皆親切にしてくださり、
体の余計な力が日々抜けて行きました。
10年経った今でも1度も嫌な経験はありません。
それどころか、ここの住人は、心がひろいし、
何よりも自立していて、人に対しても控えめで、
聞けば親切に教えてくれますが、
程よい距離感もあるおつきあいができています。
体がコの字に曲がったおばあさんでも、一人畑仕事を立派にし、
自分で漬けたおしんこを集まりの時のお茶請けに持ってこられたり、
手は出さずとも村のひとは、お互いをいつも遠くから見守る心を持って
寄り添っているんだと、気づかされました。

一の瀬の人々との交わりは、1ヶ月に2度ある診療所での集いです。
この診療日には塩山診療所から医師と看護婦さん事務担当の
方の3人がみえて出張診療が行われます。
先生方がみえる、かなり前から集い、お掃除しお茶の仕度をして、
後はゆっくり話に花を咲かせます。
診療日は、なかなか会えない村民のお互いの日常を語り合う、
楽しい時間でもあります。
私はここで、一の瀬の昔の話はもちろんのこと、
ここでの人々の生き方にふれ、多くの感銘を受けました。
ただ怖がっていた人の生き死にのことも、正面からとらえ語られます。
ここのお年よりには、私が子供のころ出会ったお年よりのような、
やさしさと強さが感じられます。
ここでは、私はいつも子供のような気持ちで「えっ!どうして?」とか、
「それからどうなったの?」などと話に引き込まれて、
語り手のおばさん方の、生き方に触れさせていただいています。
ありのまま堂々と語られる姿に強い信頼感と、尊敬の気持ちが
湧いてきます。
お年よりはもの知りとは聞きますが、こちらに来て実感しました。
診療所は、こうしろ!ではなくこうしてみたらいいよ!と言う風な語り口調の、
一の瀬の人々の中でゆったりと過ごせる楽しい一時です。


  一の瀬の住人は、皆さん個性的です。ご本人の許可を頂き、
  ここでもご紹介できればいいな!と思っています。
        ちろりん村とくるみのき(知ってますか?)のお話といい勝負!だと思います。

はじめての畑作り

妻談
学校時代に園芸部に入り、
草花を植えて以来土いじりの経験のない私に、
自由にできる広大な畑が手に入った。
とまどいながら、いろいろな種を買ってとりあえず蒔くものをまこう!
みよう見真似でマルチ(黒いビニールに種まき用の小さな穴が空けてある)
を張りはじめた。
どうなることかと思ったが、こつが解ったらマアマアの出来で,
ううーん向いてるかな?自我自賛!
小さな穴にとうもろこしの種(あのままの実一粒が種・・・あたりまえか!)を
丁寧に植えていった。
ラデッシュ、小松菜、きゅうり、ちんげんさい、絹さや、ジャガイモ、
だいこん、かぶ、花豆、とりあえず蒔いてみた。
毎日、畑を見に行くのが楽しく、とうもろこしが出来たときは
柔らかな皮の下から真珠のような美しい実が顔を出し、感動した。
ホントに、できたわ!
花豆にいたっては、おおきなさやを開くとピンク、紫色の大きな豆に
黒いふもようがあり、それはすてきな、色とがらで、
毎年さやをひらくときがたのしみになった(しろはまっしろ)。
ほかの野菜たちも次から次と実り、収穫できた。
蒔かなかったアスパラも毎日収穫できた。
おじさん、おばさんありがとう。
秋になり畑の草が倒れ、枯れ始めた。
・・・なにかまるいものが転がっているみたい!
見に行くと
な、なんとそれは、かぼちゃ・・・どこからきたの?
回りを見渡すとあら、あそこにも?
結局4このかぼちゃが・・・神様からのおくりものかしら?
後に、畑の隅のコンポストから、かぼちゃの種が落ちたと解りました。
面白いように収穫したのもこの年がピークで、どういうわけか
年々収穫量が減って・・・肥料!えっ!あの収穫は、
おじさんたちの肥料が残っていたうちだけで、肥料も蒔かずに
不思議がって、おそまつな話でした。
心を入れ替え、肥料から真面目にはじめた年には、
我が家最高の11品目の収穫がありました。
娘を東京に手放し、落ち着かない気持ちを畑仕事に向けていたようです.。
この年の秋、私は、面白くなりだした畑仕事と、夫に心を残しながら、
一方では、娘のそばに行ける嬉しさで東京へ行きました.
畑は、おやすみしました。
このころの夫は、畑に手は出さず、僕は農耕民族ではなく、
狩猟民族です。と言っていました。
現在は、両方やっています。(そばづくりにこり、そばを蒔いたのがきっかけでした)     


びっくりした話

妻談
管理人1年生の7月中旬、
ある専門学校の先生と生徒さんがバンガローに泊まり
研究発表会をされるとのことでした。
一通りの御利用時の注意事項をお話ししたなかに、
10時以降は、翌朝登山する方もあるので騒がないでください。
とお願いした時、先生らしい人が、1人の生徒さんに向かって
「おまえは、酒癖がわるいからな〜こいつには、あまり飲ませるなよ!」
とおっしゃいました。
私たちも笑いながら「よろしくお願いします」と言って、頭をさげました。
10時半頃まで騒がしかったのですが、静かになったので、
安心して私たちも休みました。
外ですごい音がしたので、飛び起きた夫は、外へ。
時計を見ると12時30分!どうやら閉めたはずのお風呂場で・・・
「すみません!!」声をかけ中へ入った夫が見たものは?
2階で休んでいた私が、窓越しに下を見ると、
あの先生と他に一人立って夫に頭を下げているのが見えました。
「ほどほどにしてくださいね。早く休まれたほうがいいですよ」
そんな夫の声がして・・・戻った夫に「どうしたの?」と聞くと、
「どうなっているのかなー、洋服着たままお風呂に入っていたよ」
「まー!やっぱりあの生徒さん?」
「いやー先生のほうだよ、他に1人いたかな。まーいいや、はやくねよう」
翌朝、お風呂場に掃除のため入ると
脱衣場にサンダルが片方だけひくりかえって落ちており、
浴槽には、衣類の繊維らしい物がたくさん浮いていました。
昨夜の出来事を想像するに余りありました。
その後は、予定どうり発表会を広場で済ませ、
先生はきちっと挨拶をされ帰って行かれました。
主人と思い出して笑ってしまいました。
歩いて国道まで行かれるとの事でしたが、こちらを出られて20分ほどした頃、
ひどいカミナリが鳴り始め、大粒の雨が降ってきました。
バンガローの戸締りがきになり、そちらに目をやると,
な、なんとあの姿は、
「おとうさーん、あの先生がまだいるみたーい」「どこに?」
「あっ、こっちに来るー」
「すいません。生徒が1人迷子になりました。学校のほうには、連絡しましたが、
もしこちらに戻ってきたら学校のほうに連絡するように伝えてください。」
ずぶぬれの先生!
「はい、わかりました。お気をつけて。」
マンガの主人公のように、カッコのいい先生で、
まるでマンガの世界をのぞいたような出来事でした。
生徒さんは、無事見つかったとのことでした。ああ!よかった。




最も危険な遊戯その1

夫談(1993年)
世界最小の圧力釜!ができたぞー。(売り物では、ありません)
妻談
ある冬の日、半月振りに山に戻ると(娘と東京で2人暮らし中)、
障子に黄色っぽい大きなしみの跡、
「あら、これどうしたの?」主人に聞くと「あっ、ちょっとね」。
「ちょっとねって、なーに」「うむむむむ・・」
「なによ?」「ちょっとしたアクシデントがありまして・・・」
「はっきり、いってよ!」と私。
主人はいそいそと台所へ行き、小さなお釜を手に、もどってきた。
「そのわけは、これです。小型圧力釜、世界最小、(容量700cc)
世界にに2つとない達朗オリジナルなのだ!」
子供のように笑う夫。
「あ、あぶないでしょうー、留守中にそんなことやって、
もしものことがあってもだれにも分からないでしょう。しにたいの」
「大丈夫だよ。原因はね〜ほら、ここんとこ見て、間のパッキンの
押さえが飛んだだけだから、大丈夫、心配要らないよ。
ねえねえーところでえ、いいでしょう?これが出来たお陰で、
燃料が少しで、おいしい玄米ご飯が、それも短時間でできるように
なったんだ」。
私の台所は、すっかり理科の実験室になりつつあった。
「釣りに持っていくにも、最高なのだ!」と夫は満足げに笑っていた。


最も危険な遊戯その2




キャンプ用のガスボンベにガスを充填する.
(*良い子の皆さん決して真似しては、いけません。)
夫談
私は、キャンプ用バーナーに、ガスバーナーを使っています。
ガスボンベの欠点として、高い、.中途半端に残ると釣りにもっていけない。
いつ無くなるか解らないからです.
これらの欠点を一挙に解決してしまいました。
それは、何かと言うと、ガスを充填してしまうのです。クっクククク・・・。
これ以上詳しくお話することは、避けたいと思います。

くれぐれも、良い子の皆さん、決して真似しては、いけません!!



最も危険な遊戯その3


まき用の木をきりだす。
主人談(2000年)
この仕事は、木が一番水をおろしている冬に行う。
街で暮らしていた私にとって、木を切り倒すこと自体非常に危険なのです。
うっかりしていると、つぶされてぺっちゃんこ。
冗談はさておき、私も、かつて、はねた木で、右足を骨折してしまいました。
今年の冬は、もっと危ない目に会ってしまいました。
それは、何かと言うと、切った木を、スーパーカーに、
山積みして山を降りてきたところ、音もなく雪が降ってきました。
これは、やばいなーと思ったのですが、見る間に雪が積もり、
最大の難所、S字下り坂、どうなることかと思いつつおそるおそる下っていったのです。
が、今でも思い出すと、身震いがします。
ブレーキを踏んだところ、バギーは、後ろに丸太を満載したトレイラーの重さに押されて、
ズズズッと谷の方へ、平行移動してしまいました。
そのまま私は、バギー、トレイラー、丸太もろとも谷へ落っこちてしまったのです。
目の前に大きな石があり、身を隠すようにそこにうずくまると、
バギーは私の体をかすめて落ちていきました。
私に怪我があったかどうかは、その時は、全くわかりません。
崖から這い上がり、とりあえずスーパーカーとトレイラーはそのままにして、
一旦家に戻り、その日は、安静にしていたのです。
肋骨が2〜3本いたみ、ひびが入っている感じで、折れてはいない様子でした(多分)。
2〜3ヶ月は息を吸うと痛みが走りましたが、もう治りました。
落ちた次の日、女房に止められましたが、
ガソリンが入っているのが気になり(火がつくとまずいので)、
ガソリンを抜きに行きました。
見ると愛車のスーパーカーが、谷に仰向けに引っかかっていました。
このまま置いといたら、間違いなく、1ヶ月後には雪にうもれてしまいます。
何とか引き上げたいものだ。
バギーに取り付けてあるウインチのエンジンが、かかるかどうか、試してみました。
エンジンさえかかれば、私のスーパーカーは、垂直の壁でも登れるのです。
そのようにウインチをつけ改造したのです。(イバリーイバリー)・・・
エンジンがかかったので引き上げることにしました。

妻談
とめるのも気かずに、飛び出していった夫は、なかなか戻ってこない。
途中で倒れているかもしれない。居てもたってもいられず、様子を見にいった。
雪がまたふりだした。「ガソリンをぬくだけだから。」にしては、遅すぎる。
無事で・・・。
川のそばまで来ると、高い崖の下のほうに仰向けになりぶら下がった格好で、
夫のバギーがあった。
「まあ、かわいそうに、でも、したまで落ちないでよかった」。
夫の姿を探した。「あっ、居た、いた、良かった無事で。
それにしても胸は大丈夫なの・・・不安だ」。
夫の名を大声で幾度も呼んだ。
川向こうの高いところの木に、なにか結んでいるのが見えた。
私に気づいた夫は、家に戻れと言っている。
ひざを悪くしている私をきずかっているのか。
元気なら少しは手伝えるのに・・。
「無理しないでねー」夫を止めることも出来ずにしばらく、
そこに立って様子を遠く見ていた。
夫がこちらの方へ歩きながら何かいっている。
「車の中にいてもいいよー、体冷やしちゃだめだよ」。
駐車場に止めてある車に乗って待つことにした。
こんなときは、電話機を、持ち歩く癖がついた。
辺りが薄暗くなりはじめた。
また、車を出て見にいった。
何と、バギーが、道にあがっていた。
夫は、バギーのエンジンをかけようとしているようで、いろいろと、
いじっているのが、わかった。
「バギーちゃん、よかったね」心の中で語り掛けた。
・・・夫がこちらをみた。
動物的カンかな?これで夫も休めると喜んだのも束の間。
「今、動かしておかないと、春になるまで動かせない!もう少しだから、車にいて。」
車の中で、エンジン音が聞こえた気がした。
見に行くと、ゆっくりと、かなりゆっくりと、バギーは動きはじめていた。
こんなに遅く走れるのかというくらいに。
バギーの先には、ウインチが取りつけられ、そのワイアーを伸ばし木にかけ、
またバギー本体にくくり、バギーにまたがった夫が、操作しながらバギーを進めていた。
そんな繰り返しを何度となくして、いよいよ橋にさしかかった。
私は、夫が気を散らさないように木の影に隠れて、祈るような気持ちで見守っていた。
橋を越えると、ぬかるんだ登り坂がある、
根気強く何度も何度も確認を繰り返しながら、夫は、私の前を通過していった。
にこっと、笑いながら・・・。
「大丈夫だよ。もお、ここまでこられれば、気をつけてやるから、車で待っててね。」
1時間ほどして、私の乗っている車にワイアーが付けられ、
目の前の林の中から、車の明かりに照らされて、バギーがあらわれた。
「おかえり!」
車につけられてバギーは、上の駐車場から、母屋の方に移動。
いつもの場所に帰ってきた。
部屋に戻ると、ストーブの上のおしるこが、食べごろになっていた。
夫のシップと。包帯の軽い固定をして、とりあえずホットした。                                        
その後、バギーは、いくつかの部品を交換し、
連休中も、お客さんの荷物運びのお手伝いに大活躍しました。
毎日、元気に活躍しています。めでたし、めでたし!

最も危険な遊戯その5

夫談
その極めつけは、なんと行っても釣りでしょう。
釣りにはありとあらゆる危険が付きまとっているのです。
妻談(1995年)
ある日診療所で、山に詳しいおじさんに肩をたたかれた。
「奥さん、だんなに言っときな、あんなに夢中になってると、
熊に肩たたかれてもふしぎはないぞ〜ってね。」
「えっ、そうなんですか!」
「そううさよう〜、このあいだ、俺が久しぶりに山に入ったとき、
それもかなり奥さ〜ふふふ、だんな釣りに夢中で俺が近づいても
全く気がつかねえんだよー、俺じゃあなくて熊だったらたいへんさ〜。
奥さん、気をつけるように言った方がいいよー」
「まあー、ありがとうございます。ううーんといわなくちゃあー」
「ははは・・・そううだよ」

夫談
一の瀬林道笹平と言うところから降りていって、10分ほどで、
一の瀬本流に出る。
上流に顔を向けて左岸、工事用のロープと細いもう1本のロープが、
たれさがっています。
「通らず」は、たか巻きをしないと、通れない難所なのです。
この2本のロープを、信用するかしないかは、判断に迷うところです。
基本的には、信用してはいけません。
必ず、いつか切れるときがあるのです。
それが今日ではないかもしれないが、かといって、そこをよじ登るのは、
よほどのクライマーでない限り、むづかしいのです。
そういう時わたしは、ロープを半分だけ信用して、登るのです。
ロープに出来るだけ負荷をかけない、万が一切れても、落ちないよう、
足場を固めて登る、絶えず切れたときのことを想定して登る、
自力で登れるところは、自力で登る。
高く登れば上るほど、危険度が増すので、
このようなロープを信用しては、いけません。
このようにしてのぼりつめ、「通らず」を越え、再び川へ降りるのです。
この降りるときの方が、さらに危険なのです。
このような所には、ここがルートだとは、どこにもかいてないのです
(あたりまえのことですが)。
おりるルートを見つける、わたしの経験では、
この時に一番危険に遭遇することが、多いように思われます。
ここから降りられるだろうと思って、いってみると行き止まり。
最悪の場合、にっちもさっちも行かない状態、
いわゆる、電信柱のてっぺんに登った
猫のような心境になってしまうのです。(ぶるるん)
くれぐれも、このような状態にならないように、
一度通過に成功したルートは、必ずおぼえておきましょう。

このようなことを、何度も何度もくりかえしながら、トータル的に、
渓流釣りの面白みが増して行くのです。
「通らず」を通過し、しばらく釣りあがっていくと、上流に顔を向けて右岸、
大常木谷と遭遇するのです。
この谷には、地元の老人たちから、
私は「決して入ってはいけない」と言われている!
なので、ここで詳しく述べることは、出来ない。                          




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